東京高等裁判所 平成8年(ネ)1058号 判決 1997年2月18日
控訴人
名取幸子
ほか二名(原告)
被控訴人
小林美由紀
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人は、控訴人名取幸子に対し金三五八万一〇七四円、同名取宏文及び同足立和歌子に対し各金一〇六万五五三六円並びに右各金員に対する平成六年三月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人らのそのほかの請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを八分し、その一を被控訴人の、その残りを控訴人らの負担とする。
三 本判決の第一項の1は、仮に執行することができる。
事実及び理由
一 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(一) 原判決を取り消す。
(二) 被控訴人は、控訴人名取幸子に対し金三〇五九万三六八四円、同名取宏文及び同足立和歌子に対し各金一四〇三万七四五四円並びに右各金員に対する平成六年三月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) (二)につき、仮執行の宣言。
2 被控訴人
控訴棄却
二 事案の概要
1 本件は、夜間・小雨の中で自動車を運転中、横断歩道上を横断中の被害者(亡名取資之、以下「資之」という。)をはねて死亡させた被控訴人(運行供用者)に対し、資之の相続人である控訴人らが損害賠償を求めた事案である。
原判決は、被控訴人は、対面する信号の青表示に従って交差点に進入したのであって過失はなく、かえって、資之の方こそ対面する信号が赤表示であったにもかかわらず、横断歩道を横断した過失があると認定し、自賠法三条但書き所定の免責の抗弁の立証があったものとして、控訴人らの請求をいずれも棄却した。
本件の主要な争点は、本件において右抗弁を採用すべきか否か、否定されるとすれば、過失相殺の割合はどうか及び損害額である。
2 右のほか事案の概要は、次のとおり訂正するほか、原判決該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。
(当審における当事者の主張)
(一) 控訴人ら
(1) 原判決は、客観的証拠と適合するか否かを慎重に吟味することなく、信用性に疑問のある被控訴人の供述や証人前田由美の証言を無条件に採用し、安易に自賠法三条但書きの抗弁の立証があったと判断している。これは、一般不法行為法の特則として、運行供用者は原則として損害賠償責任を負うものとし、自己(運転者)の無過失、被害者(運転者以外の第三者)の故意過失、自動車の構造上の無欠陥等の事実のすべてを立証しない限り免責は得られないものとして被害者保護を図った同条の規定の趣旨を理解していない。
(2) すなわち、原判決は、資之の受傷部位に関する診断書、事故当時の降雨量に関する証明書のような客観的証拠を無視し、自己の主観的な推測に都合のよい供述部分だけを採用し、都合の悪い部分を採用せず、本件事故当時の降雨の程度及び資之の飲酒の程度を過大に認定し、被控訴人の一方的言い分に沿った事実関係を認定している。しかし、本件の証拠関係を公平に評価すれば、本件事故は、被控訴人の一方的過失によって生じたものであって、資之には何らの過失もないことは明らかというべきである。
(二) 被控訴人
控訴人の主張は争う。原判決に事実誤認は存しない。
三 当裁判所の判断
1 関連証拠の内容
原判決挙示の証拠関係及び甲第三六号証、第四四号証、乙第七号証によると、本件の事実関係に関連する証拠の内容は、次のとおりである。
(一) 本件事故現場付近の状況及び本件交差点付近における交通信号の設置状況は、原判決四枚目裏五行目から同六枚目八行目までに記載のとおりであるから(但し、同六枚目表七行目「二四秒」を「二三秒」と訂正する。)、これを引用する。
(二) 事故当日の降雨の状況
平成六年三月二四日付の実況検分調書(乙第一号証、以下「第一実況検分調書」という。実況検分は、事故当日である同月二三日午後一〇時二五分から一一時二〇分まで実施された。なお、事故発生は、同日午後一〇時五分頃である。)には、「アスファルト舗装された路面は降雨のため濡れていた。」との記載がある。
加害車の助手席の同乗者前田由美は、原審において、「事故当時の天候は雨でした。いつごろ降り出したかは知りません。小雨というわけでも強い雨というわけでもありません。」と証言している。
被控訴人本人は、原審において、「事故当時の天候は雨でしたが、特に土砂降りというわけでも、霧雨というわけでもありませんでした。私の車のワイパーは、事故当時、間欠ワイパーではなく、連続してワイパーをかけていました。晴れの日に比べて視界が悪かった。」と供述している。
事故当日、資之と直前までともに飲食していた会社の同僚である赤坂廣志作成の平成七年一〇月二三日付陳述書(甲第二八号証)には、「帰宅時間に、小雨となりましたので、タクシーを呼ぶと言いましたが、いつもかなり酒を飲んでも歩いて帰る方で、この日も調度よい雨だと、歩いて帰りました。」と記載されている。
八戸測候所作成の平成七年一一月二八日付証明書(甲第三四号証)によれば、事故当日の八戸測候所(八戸市大字湊町字館鼻六七)で観測された毎時降水量は午後九時から午後一一時まで〇・〇ミリメートルであるところ、甲第三六号証及び弁論の全趣旨によると、本件事故の場所と右八戸測候所との直線距離は、約三・六キロメートルであり、両地の間は平坦な土地が連続していることが認められる。
(三) 本件交差点付近の状況
前記第一回実況検分調書(乙第一号証)には、「被疑車が通行した片側二車線の通称『ゆりの木通り』は、直線路で見とおしが良く、街灯も設置されていたが、路面が濡れており全体的に暗かった。」と記載されている。
前記前田の原審証言は、「事故現場は、事故当時は暗かった。事故現場周辺の明かりは街灯のみです。」という。
前記被控訴人の原審供述は、「事故現場の明かりとしては、街灯がありますが、多くはない、事故当時は、現場付近はやや明るい感じでした。」というものである。
(四) 資之の飲酒状況
資之は、事故当日、前記赤坂の自宅(その場所は、原判決別紙地図参照)で、当日の勤務終了後、午後七時頃から同九時四五分頃まで飲食した。前記赤坂陳述書によると、当夜、資之は、付近のコンビニエンスストアで求めた、おでん、焼き鳥、豆腐、漬け物のほか冷蔵庫内の食品を肴に、ビール中ジョッキ三杯、ウイスキー水割四杯しか飲まず、「あまり酔ってはいませんでした。」とのことである。
資之の普段の飲酒状況につき、右赤坂陳述書には、資之とは、月に一度の割合で、夜遅くまで語り、お酒もウイスキー一本以上飲むが、今回は、翌日から仕事が忙しくなるとのことで、九時までの予定にしていたとの記載があり、また、被控訴人名取幸子は、原審において、「資之は、酒は自宅では飲みますが、外では飲みません。自宅でも一日おきにビールと水割五、六杯を飲みますが、酔ってみだれることはありませんでした。」と供述している。
事故後、資之が入院し、死亡した八戸市立市民病院の担当医作成の平成六年一一月四日付の回答書(乙第六号証)によると、診療録からの転記事項として「当日は、会社同僚宅で酒(ビール三本、水割り四杯)を飲んでいた。三月二四日午前零時二〇分 アルコール臭+(看護記録)」との記載がある。
(五) 資之の受傷状況
八戸市立市民病院の担当医作成の平成六年一〇月四日付の診断書(甲第一二号証)には、資之の受傷害状況は、右足の裏側に打撲・皮下出血腫脹、右後肩部に皮下出血腫脹、右後腰部に腫脹、右後頭部に皮下出血・裂創、左大腿部に変位等と記載されている。
(六) 資之の歩行状況
赤坂宅から本件事故現場に至るまでの経路については、原判決別紙地図太線記載の経路が最短であるが、資之がこれによったことを認めるべき直接的証拠はない。資之のその後の予定経路について、赤坂陳述書は、コンビニエンスストアのビックバン(その位置は原判決別紙地図参照)に行くつもりだったのではないかと推測している。
(七) 被控訴人の進行状況等と本件事故
(1) 前記第一回実況検分調書には、被控訴人の指示説明として、「本件衝突地点(原判決別紙交通現場見取図[以下「別紙図面という。」]×印とほぼ同一地点と推認される。)の四〇メートル手前の地点で本件交差点の車両用信号が青色であることを確認している(このとき、右側車線の先行車は、一一メートル斜め右前方を進行中)。衝突地点の二一メートル手前で前方横断歩道を横断中(北から南へ)の資之を二一・三メートル先で発見(このとき、右側車線の先行車は四・〇メートル斜め右前方を走行中)、急制動をかけたが×地点で衝突した。」と記載されている。
(2) 事件送致後、検察官の指示により、平成六年一二月七日午後八時から九時二五分まで実施された実況検分の調書(乙第二号証、以下「第二回実況検分調書」という。)には、被控訴人の指示説明として、別紙図面の表示に対応して、「<1>点(大工町交差点の手前約三〇メートル手前付近と推認される。)で、信号待ちから発進、<2>地点(衝突地点の九二・一メートル手前)で先行右折車に応じて減速後、<3>地点(同七〇・一メートル手前)から加速進行、加速中の<4>地点(同三九・六メートル手前)で対面信号の青色確認、同乗者の『危ない』との声で、<5>地点(同二〇・六メートル手前)で急ブレーキ、<6>地点(同一六・一メートル手前)で相手をア点(右斜め前方一六・二メートル)で発見、×地点で衝突」と記載されている。
また、警察官が自動車を走行させて、別紙図面<1>地点から発進し、時速約四〇キロメートルに加速した後、<2>地点で時速約三〇キロメートルに減速後、<3>地点で再び加速して、<5>地点で約六〇キロメートルとなるように走行した結果の所要時間を五回にわたって測定したところ、所要時間最短一八・五秒から最長一九・三秒まで(平均一八・八六秒)の結果を得た。
更に、前記認定の信号の系統状況の下、警察官が、大工町交差点の約三〇メートル手前から同交差点の車両用信号が青色表示になると同時に市民病院交差点に向け進行した場合において、平均速度二〇、三〇、四〇、五〇、六〇、七〇、八〇キロメートルのいずれの平均速度でも、市民病院交差点の信号は青色表示であったとされている。
(3) 被控訴人は、原審において、別紙図面に基づいて供述した。その内容は、要旨「当日、友人三名と、右図面に『縮尺』とある位置の右上の辺りのボーリング場(レックマツワ)でボウリングをした後、その駐車場から外に出ることになった。大工町交差点の対面信号は赤色であったので、一旦歩道を跨ぐ格好で停車した後、信号が青になってから道路に出た。自車の前は、信号待ちの車が一杯で、四、五台停車していた。<1>地点辺りから青信号に従って発進し、時速五〇キロメートルまで加速した。その後、市民病院に入ろうとして左折する先行車(タクシー)が二台くらいあったので、時速二〇キロメートルまで減速した。市民病院交差点を通過した<4>地点辺りから加速を開始した。<3>地点で本件交差点の車両用信号が青色になったことを確認した。<4>地点でも同信号は青であり、先行車はなかった。そのまま直進加速し、六〇キロメートルに達していたところ、<5>地点で助手席にいた前田由美が『あぶない』と声をかけてきたので、わけがわからないまま急ブレーキをかけたが、×地点で衝突した。<3>の地点で加速する辺りから右車線斜め前に先行車が一台おり、一緒に進行していた。<4>地点で先行車は右斜め前方一一メートルくらいの位置におり、被害者はその車に遮られて見えなかった。資之を初めて確認したのはブレーキをかけるのと同時くらい。本件交差点の信号は視野に入っていたが、変わったことはなかった。自車の斜め前を走行する車の蔭から飛び出すように被害者が出てきた。被害者は顔を下に向け腰を曲げてふらふら歩いていたようであり、被控訴人の車は、被害者の左側から衝突したが、被害者は腰を曲げた状態であり、こちらを見てはいなかった。事故直前の被害者の姿勢は、前かがみでうつむくようにして歩いていた。」というものであった。
(4) 前記前田由美立会のもとに平成六年一二月八日午後八時から八時三五分まで実施された第三回実況検分の調書(乙第三号証)には、前田の指示説明として「大工町交差点手前(事故現場から約二二〇メートル手前)から青色信号で発進し、事故現場五〇・二メートル手前で対面信号が青色であることを確認した。事故現場二四・二メートル手前で被害者を発見し、『危ない』と大声を出した。この時、右側車線の先行車は、右斜め前方九・〇メートルの地点にいた。」と記載されている。
(5) 前田由美は、原審において、右実況検分調書添付図面に基づいて証言した。その内容は、「四人でボウリングをしたあと被控訴人運転の車で外に出た。大工町交差点の信号が赤だったので、被控訴人車は、ボウリング場出口付近の歩道に掛かったくらいの位置で一旦停止した。被控訴人車が出た前には、三、四台先行車がいたと思う。大工町交差点が青になって発進した。その次の信号も青だったので前の車に続いて普通の車間距離で進行した。市民病院に至る信号の手前で何台か左折車があったので減速した。その後加速し、およそ時速五〇キロメートル位で走行した。事故現場の五〇メートル手前でも、二四メートル手前でも前方を見ていたが、本件交差点の信号は青だった。被害者を発見したのは、衝突地点の手前二四・二メートルの位置であった。右車線斜め前方を進行していた車と衝突するのではないかと思ったので『危ない。』といい、被控訴人は急ブレーキをかけた。右車線を走行していた車は、被害者を回避するように右折していった。衝突の様子は、一瞬顔を伏せたので見ていないが、被害者はふらふら歩いていたようであり、具体的には、前かがみになってよろけるように歩いていた。歩く速度は、普通と変わらないようだった。被害者は、先行車の蔭から出てきたように見えた。先行車のため、被害者は視野に入ってこなかった。」というものである。
(6) 控訴人らの調査によると、被控訴人らがボウリングをしていたというボウリング場の駐車場出口から大工町交差点までの距離は、五〇メートル程度あると認められる(甲第四四号証)。
2 本件の事実関係
右の証拠関係から明らかなように、本件においては、被害者の資之は、事故に遭遇した後、人事不省のまま死亡したため、被害者の側から本件事故に至る経緯を供述する証拠は一切存在せず、加害者である被控訴人及びその友人の供述とこれに基づいて作成された実況検分調書が主な証拠である。刑事事件と異なる本訴においては、被控訴人に自賠法三条但書き所定の免責事由が認められるかの観点から、これらを吟味することを要する。そして、当事者間に争いのない事実及び前記の証拠関係のもとにおいては、本件の事実関係は、次のとおり判断するのが相当である。
(一) まず、事故当日の降雨の状況であるが、当日は降雨のため路面が濡れていたことは認められるけれども、前記の八戸測候所作成の証明書(甲第三四号証)の記載と本件事故現場との距離関係からみて、当日の降雨の程度が極めて少量であった可能性を否定することは困難であり、前記の被控訴人(ワイパーの使用状況を含む。)や前田の供述、赤坂陳述書の記載等から、傘を使用するのが通常と思われる程度の降雨状況であったと推認することはできないし、降雨量が一定程度あったことを前提として、資之が雨中傘をささずに信号待ちをすることを厭う余り、対面する本件3P信号が赤表示であるのにかかわらず、本件道路を横断したと推認するのは相当でない。
(二) 次に、資之の飲酒による酩酊の程度であるが、前記の証拠関係からすると、資之は、当日は、家族と過ごしていた当時の平生よりはやや多めに飲酒したものの、翌日の仕事に備えて過度の飲酒を控えたことを窺うことができ、また、当日、赤坂宅から通常の歩行速度で事故現場に至ったものと認められることからみて、その事理弁識能力は通常時に比してさほど減耗していなかった可能性を否定することは困難というべきである。
(三) 本件交差点付近の状況については、当日は小雨であったとはいえ、降雨があり、また、夜間であることから、全体的に明るいとは言い難いものであったことは明らかである。しかし、前記の「やや明るい感じ」であったという被控訴人の供述、本件事故時とほぼ同時刻の本件事故現場の状況を撮影したビデオ再生の写真である甲第三三号証及び弁論の全趣旨を総合すると、同号証が事故当日とは天候が相異していること及び撮影位置が助手席であることを考慮に入れても、運転者が前方を注視していれば、本件横断歩上を横断する歩行者の存在を認識できる程度の明るさはあったものと認めるのが相当である。
(四) 被控訴人が、いずれも青色信号に従って、順次、大工町交差点、市民病院交差点を進行して本件交差点に至ったと供述し、実況検分調書にもこれに沿った記載がされていること、同乗者の前田由美も基本的にはこれに沿う供述をしていること、また、大工町交差点手前約三〇メートルの地点から、衝突地点の二〇・六メートル手前の地点まで概ね被控訴人の供述する速度で減速及び加速して走行した実験の結果、所要時間最長一九・三秒(平均一八・八六秒)を得た(衝突地点までは、時速六〇キロメートルとすると、更に一・二三秒を要することになる。)こと、更に、前記認定の信号の系統状況の下、大工町交差点の約三〇メートル手前から同交差点の車両用信号が青色表示になると同時に市民病院交差点に向け進行した場合において、平均速度二〇、三〇、四〇、五〇、六〇、七〇、八〇キロメートルのいずれの平均速度でも、市民病院交差点の信号は青色表示であったとされていることは前記のとおりである。
ところで、被控訴人らがボウリングをしたというボウリング場の駐車場出口から大工町交差点までの距離は、三〇メートルより長く、約五〇メートルあることは前記のとおりであり、また、被控訴人車は、右出口から出て一旦信号待ちをした後、先行する数台の後に続いて大工町交差点方向に進行したのであって、その間、どの程度の時刻が経過したかは証拠上不明であるところ、右事実関係を前提とすれば、大工町交差点の信号が青色に変わって後数秒以内に同交差点を通過した可能性は低く(前記の走行実験によれば、実験車は、いずれの場合も、青色変化後五秒以内に同交差点を通過している。)、むしろ、それを超過する一定の時間を要したものと推認するのが相当というべきであるから、右の実験結果をそのまま本件に適用することはできないものといわねばならない。
しかしながら、前記の事実関係によれば、大工町交差点信号が青色に変化するのは、市民病院交差点信号が青色に変化してから一〇秒後というのであるから、大工町交差点の信号が青色に変化してから、市民病院同交差点の信号が黄色信号に変わるまで(すなわち、青色信号の継続時間)には、なお三九秒、本件交差点の信号が黄色信号に変わるまで(同信号の青色信号の継続時間)には、なお五三秒の時間の経過が必要である(原判決別紙「交通信号機秒数設定表及びその添付図面」参照)。そうすると、いかに前記の事情を考慮して、被控訴人車の所要時間を長めに見積もったとしても、同車がボウリング場前から発進して本件交差点に至るまで右の時間を超える長時間を要したとするのは非現実的と判断せざるを得ない(そのためには、被控訴人車は平均時速一七キロメートル以下の速度で進行したことにしなければならないことになる。)から、被控訴人車は、右時間の経過前に本件交差点付近に到達していたものと推認するのが相当というべきである。被控訴人及び前田由美の前記供述は、加害者側の一方的供述であり、その証拠価値については、慎重な吟味を要するものであることは、控訴人ら指摘のとおりであるが、そのことを考慮に入れても、右の推認に沿う限度ではその証拠価値を肯定するのが相当というべきである。
(五) ところで、被控訴人らは、資之が本件交差点の赤色信号を無視して横断を開始し、事故に遭遇したものであると主張する。しかしながら、資之は慎重な性格であったことが認められる上、前記のとおり当時の天候が小雨であったこと、当日の飲酒が軽度であったことを考慮に入れると、資之に赤色信号を無視してまで横断を開始しようとする動機があったとの事実が認められない本件においては、被控訴人主張の信号無視の横断の事実を認めることは困難であるといわざるを得ない。
そして、本件の衝突位置は、資之が横断を開始したのち横断歩道を渡り終える直前の位置である。もし、資之が赤色信号で横断を開始したのであるとすると、横断開始の直後に相当量の自動車が通行している場所に身を置いた可能性が高く、その場所で事故や事故に至らないまでも急ブレーキなどの事態が発生する可能性が高い。ところが、本件の記録をみてもそのような事態が発生したことは窺えないのである。
そして、資之が当時相当量の酒を飲んでいたことは前記のとおりであり、そのために動作が緩慢となったり、体調が悪くなれば、青色信号や青色点滅の状態で横断を開始したが、途中で赤色信号となり、走行してくる車両を避けるため、歩行を中断するなどのこともあって時間を経過し、車両のための信号は青色、歩行者の信号は赤色の時点で、資之が横断歩道上にあった際に、被控訴人車に衝突されて本件事故に至った可能性があるのであり、本件においてその可能性を否定するに足る証拠を認めることはできない(本件交差点の信号の間隔などは、歩行の状況を確定できないため、反証とはならない。)。
(六) そうすると、本件衝突事故は、被控訴人車の信号は青色、歩行者である資之の信号は赤色の時点で発生したが、資之は青色又はその点滅の状況で横断を開始したものであったとの前提で、双方の過失の内容を検討すべきものである。
そして、前記の証拠関係の下においては、被控訴人は、青色信号に従って自車を運転してきたものと認められるとはいえ、当日は、夜間、かつ、小雨で前方の視界は必ずしも良好ではなかったこと、資之は、被控訴人の車の前に急に飛び出したのではなく、前方横断歩道を右側から歩行してきたものであり、衝突地点に達するまで相当の時間があったものと推認できること、被控訴人は、同乗者の前田から声をかけられてわけが判らないまま急ブレーキをかけたというのであるから、右前方を十分注視していなかったものであり、もし、十分に右前方の注視義務を尽くしていたとすれば、事前に資之の発見は可能であり、急ブレーキや適宜のハンドル操作等の措置によって、事故の発生を避けることができたものと推認するのが相当というべきである。
被控訴人は自車の右斜め前方を進行していた先行車の蔭になっていたため、資之の発見は不可能であったと主張し、前記被控訴人の供述等もこれに沿うが、右先行車の存在を裏付けるに足る確たる証拠はなく、仮に、先行車が存在したとしても、これが常に資之への視界を妨げる位置を進行していたとは断定できない。
以上によれば、本件事故の発生につき、被控訴人に「自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」(自賠法三条但書き)につき証明があったものということはできず、したがって、被控訴人は、本件事故につき、運行供用者として損害賠償をする責任を免れることはできないものというべきである。
3 損害
そこで、本件事故により、資之及び控訴人らの被った損害につき判断する。
証拠(甲第一ないし第五号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証ないし第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第三二号証)及び弁論の全趣旨を総合して、次のとおりの損害を被ったものと認める。
(一) 資之 合計五六四七万九二四六円
(控訴人幸子が二分の一[二八二三万九六二三円]、同宏文、同和歌子が各四分の一[一四一一万九八一一円]宛相続)
(1) 治療費等 一三万一一五九円
(2) 入院雑費(一日当たり一三〇〇円・九日分) 一万一七〇〇円
(3) 入院付添費(一日当たり六〇〇〇円・九日分) 五万四〇〇〇円
(4) 交通費 合計一九万〇五六〇円
(控訴人宏文及び同和歌子の各配偶者の分も含まれているが、いずれも相当因果関係の範囲内と認める。)
(5) 宿泊費 合計三一万一八一〇円
(前同)
(6) 逸失利益 四〇七八万〇〇一七円
計算式 年収八一九万六〇〇〇円×〇・七[生活費控除三割]×七・一〇八[就労可能年数九年に対応するライプニッツ計数]
(7) 慰謝料 一五〇〇万円
(二) 控訴人幸子
(1) 葬儀費用 一五〇万円
(控訴人幸子支出のうち、右金額の限度で相当因果関係を認める。)
(2) 固有の慰謝料 六〇〇万円
(三) 控訴人宏文及び同和歌子
固有の慰謝料 各二五〇万円
(四) 以上によると、控訴人らそれぞれの損害は、控訴人幸子につき三五七三万九六二三円、同宏文、同和歌子につき各一六六一万九八一一円となる。
4 過失相殺
前記の事実関係によると、本件事故は、信号青色又は青色点滅で横断を開始したとはいえ、信号が途中で赤色を表示しているのにもかかわらず、本件横断歩道上で自動車の進行してくる前にいた資之の過失と、青色信号であるのに心を許し、前方不注視のまま本件交差点を通過しようとした被控訴人の過失が競合して生じたものということができる。そこで、これに基づいて、本件事故に関する両者の過失割合を評価すると、資之が五割、被控訴人が五割と判定するのが相当であるから、被控訴人は、控訴人らが被った損害の五割の限度で賠償の責に任ずべきである。
そこで、これを計算すると、控訴人幸子につき一七八六万九八一一円、同宏文及び同和歌子につき各八三〇万九九〇五円となる。
5 損害の填補
本件事故に関し、自賠責保険から、控訴人幸子が一五〇八万八七三七円、同宏文及び同和歌子が各七五四万四三六九円の支払いを受けたことは、当事者間に争いがない。
6 弁護士費用
そうすると、控訴人幸子は二七八万一〇七四円の、控訴人宏文及び同和歌子は各七六万五五三六円の損害賠償請求権を、それぞれ被控訴人に対して有するのであるが、本件の事案の内容に鑑み、弁護士費用として、控訴人幸子については八〇万円、控訴人宏文及び同和歌子については各三〇万円を相当と認める。
7 被控訴人の損害賠償責任
そこで、被控訴人は、控訴人幸子に対し金三五八万一〇七四円、同宏文及び同和歌子に対し各金一〇六万五五三六円と、各金員に対する不法行為の日である平成六年三月二三日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものといわねばならない。
四 結論
以上の次第で、控訴人らの請求を全部棄却した原判決は、一部不当であるから、これを右の説示に沿って変更することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 淺生重機 小林登美子 田中壯太)